平常心是道(びょうじょうしんこれどう)普段の心がけが最も大切:ビジネスで活用する禅語

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こんにちは。マインドアプリです。

今回は「平常心是道(びょうじょうしんこれどう)」という禅語をご紹介しましょう。

なにかを極めようとするとき、なにか特別なことしなくてはならないのでは?って普通だと思ってしまいますよね。

すごく仕事ができる人って、特別なトレーニングを積んでいるのではないか?そうだとすると、私はそうなれないのではないか、、、など、自分自身のなかで答えを見出してしまってはいませんか?

この禅語はそんな疑問に答えてくれるはずです。

それでは早速ご紹介しましょう。

「平常心是道(びょうじょうしんこれどう)」の由来

この禅語は唐の時代の名僧、趙州(じょうしゅう)が修行中、師匠である南泉普願(なんせんふがん)と交わした問答に由来します。

趙州が師匠の南泉に聞きます。

「如何是道(いかんがこれどう)」道とはどういったものなのでしょうか。

それに対して南泉が答えた言葉が

「平常心是道(びょうじょうしんこれどう)」ふだんの心こそが道であるよ

趙州はさらに突っ込みます。道を理解したくてたまらなかったのでしょう。

「そのふだんの心を掴み取る事を目標にすればいいのでしょうか」

南泉はその質問にたいして、「目指そうとすると、すぐにそれてしまう」と釘をさします。

わからなくなった趙州は「目指さないのなら、どうしてそれが道であると知ることができるのでしょうか」

南泉はこう答えました。

「道は知るとか知らぬとか、そういう知識に属するものではない。真に疑いようのない道に達することができれば、それは虚空のようにからりとしたものである。それは説明しようのないものだ。」

この問答は禅の真髄をうまく表していると言えます。

「へいじょうしん」と、「びょうじょうしん」の違い

「平常心」と書くと、現代では「へいじょうしん」と読みますね。これは間違っていません。

平常心(へいじょうしん)とは

・ふだん通りの心の状態

を表しています。

一方平常心(びょうじょうしん)とは

・日常の小さな行いもおろそかにしない心

の事を表しています。日常そのものを大切にするという言葉ですね。

禅の世界では毎日の作務を重んじます。

日々の作業を決まったように行う、それこそが修行であり、その中に仏を見出すのが禅です。

「平常心是道(びょうじょうしんこれどう)」の意味

先のやり取りにあった通り、この禅語の意味は

「日常の小さな行いも疎かにしないこと、これこそが道である」

ああだこうだ考えず、しのごの言わず、まずは実践してみる。そうすることで道を極めることができるということです。

ふだんの生活の中での心がけ、工夫、すなわちそれが「仏の道」に他ならないということを説明しているのです。

現にこのやり取りは禅の本質を端的に表しているものだと言われています。また、この言葉は南泉の師匠である馬祖道一の言葉です。

ビジネスでの活用方法

目標を立てることの弊害

どの会社でも自分の目標を立てさせられます。これは自分ができるちょっと上の場所を目標に据えられることが大概です。

以前「照顧脚下(しょうこきゃっか)何事も足元から:ビジネスで活用する禅語名言」でも書きましたが、目標を高くすることにより足元がおぼつかなくなるということがあります。

目標を立てること、実績を定量的に表すこと、これはとても欧米的というか、資本主義的なやり方に基づいています。

目標を立てるなというと、現代社会と逆行してしまうので、とても難しいことだとも言えますが、禅の世界はそう言ったことを暗に言っているかもしれませんね。

目標を立てること自体が悪いのではなく、目標に目がくらみ、日々行うべきことが疎かになってしまうことがいけないのです。

目標を立てるときに、4半期、毎月、毎週、毎日まで何をすべきかブレイクダウンし、ある程度の余裕を持って、無理な目標を立てすぎないことが重要だと言えます。

まとめ

道とはなんなのか、悟りとはなんなのか、そこにこだわりすぎると本来求めるものが見えづらくなってしまいます。

この禅語はそんなことを思い起こさせてくれる言葉ですね。

今日はここまで。最後までありがとうございました。

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