歩歩是道場(ほほこれどうじょう)いつでも修行の場である。:ビジネスで活用する禅語

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こんにちは。マインドアプリです。

今日は歩歩是道場(ほほこれどうじょう)という禅語をご紹介します。

なんでも形から入る人っていますよね。

はい、私もそうです(笑)

どうしても何かをするときに、「何が必要だ」とか「どこに行かないと」とか「誰に教えてもらうのがいい」など、形にこだわってしまいます。

しかし、考え方を180度真逆に捉えるのが禅語の極意!(そんなことありません。。。)

修行と言わずとも、何かに取り組む際にはどんな気持ちで臨むべきなのでしょうか。

それではスタート!

禅語の由来

この禅語は「維摩経(ゆいまぎょう)」というお経に書かれていたものです。

「維摩経(ゆいまぎょう)」は維摩居士(ゆいまこじ)というお坊さんがまとめたお経です。

この禅語は次のようにして生まれました。

ある日、どこか閑静な場所で修行をしようと考えて修行場所を探していたお坊さんがいました。

そこに街に向かおうとしていた維摩居士と出くわし、修行場所を探していたお坊さんが維摩居士に尋ねます

「おはんなどっから来たとな?」(せごどんにちなんで鹿児島弁訳でお送りします)

質問された維摩居士はこう答えます。

「道場から来たとよ〜」

修行場所を探していたお坊さんはチャンス!と思いました。

「そやどこの道場ね。おいにも教えてくれんどかい」

そう聞かれた維摩居士はすかさず答えます。

「直心是道場(じきしんこれどうじょう)」

これは

「まっすぐな心を持っていれば、いつでも、どこでも道場になる。

すなわち修行はどこでやっても修行になる」

という意味です。

修行の場は常に心の中にある、普段行なっていること、その一歩一歩がまさに修行であるのだから、場所などは関係ないということですね。

いつも型から入ってしまう私は、いつもこの言葉にひれ伏してしまいます。

歩歩是道場(ほほこれどうじょう)の意味

通勤の電車の中、普段何気なく空いた時間、みなさんはどのような使い方をしていますか?

例えばそういった時間でこつこつと勉強をして、資格試験に合格した人などはたくさんいらっしゃると思います。電車での勉強だけで司法試験に合格した人もいるんです。

まあ元々頭がよかったのでしょうが。。。

例えば第55回群像新人文学賞において、岡本学氏は片道3時間もある通勤時間を利用して「架空列車」という小説を書き、小説部門で当選作に選ばれました。

これって結構すごいですよね。

小説というと、自宅に書斎があり、そこで頭を掻き掻き悶えながら作り上げていくイメージがありますが、そうでなくても立派な小説は書けるということですよね。

もちろん。これで小説家の一歩をあるきだした岡本氏はきっと次回作では書斎で頭を掻き掻き小説を書いていることでしょう。

ビジネスシーンでの捉え方

仕事の場はまさに修行の場とも言えます。

楽しい仕事なんて、そうそうないですよね。上司には怒られ、納期は迫り、時間はなく。。。

そういう自分にとって負荷になっていることを、できなかった事の言い訳にしていませんか?

人は出来る希望よりも出来ない言い訳を揃える天才です。

出来ない言い訳は本当にいろいろと出てくるものです。

場所や環境など、そのほか人のことなど、自分に不利なことを理由にできないことを主張します。

しかし、そんな他責の理由でくじけるような気持ちなら、最初から心の中に確固たるものがなかったのではないでしょうか。

もし心の中に確固たるものがあれば、どんな障害があってもやりきるはずです。

成功するビジネスマンは、達成できる目標を立てるのではなく、立てた目標に対してどうすれば目標を達成できるかを考える人だと言われます。

口で大きな事を言ってしまったとしても、言ったことを実現するためにはどんな手段を使えばいいか、妥協することなく実践することで、本当に現実の事になっていくのです。

実際にそういう人、あなたの周りにもいませんか?

まとめ

禅の世界は、本当にその人の心の中で世界が生まれ変わるという事をしっかりと教えてくれます。

そこが道場になるのか、掃き溜めになるのかは、あなたの心次第という訳です。

そういう意味でいうと、「一切唯心造」も同じような意味を持つ禅語ですね。

一切唯心造(いっさいゆいしんぞう):世界はあなたが造り出している:ビジネスに役立つ禅語

あと、全然関係ないですが、「歩歩是道場」って「ここほれわんわん」と

語呂が似ています。なんかすみません。。。

今日はこのへんで。

最後までありがとうございました。

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