百不知百不会(ひゃくふちひゃくふえ)決して驕らない境地とは

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こんにちは。マインドアプリです。

今回は百不知百不会(ひゃくふちひゃくふえ)という禅語をご紹介します。

皆さんの周りに、自分が知っている事をさも自慢げにひけらかすような人はいませんか?私はよくそんな人をよく見ます(笑)

もちろん沢山勉強されているんでしょうし、それなりの努力をされているんだと思いますが、それを自慢げにひけらかすようではまだまだ、修行が足らん!とピシャリとされてしまいます。

どんな意味が込められた禅語なのかご紹介しましょう。

百不知百不会の由来

この禅語は宋代に活躍した無門禅師(むもんぜんじ)の言葉です。無門禅師は中国宋の時代の臨済宗の僧侶で、禅者達の問答商量から48のやりとりをまとめ、「無門関」という公案集を作り上げたことで有名な禅師です。

この無門禅師が悟りを得た後に残した言葉がこの「百不知百不会」だと伝えられています。悟った後に「自分はなにも知らず、何も得ていない」と発した裏には、知っていること、知らないことを超越した悟りの境地を見いだすことができます。

百不知百不会の意味

この百不知百不会はそのままの言葉の意味で見ると「何も知らず、何も理解していない」と言う意味の言葉になりますが、そのままの言葉で理解してはいけないのが禅語、その裏にはこんな意味が含まれています。

何事も道を極めることは本当に困難を極めます。長い間努力をして勉強に励み、ようやくその道を極めたと思うところまで来た時、「よし!私は出来る!」と思う事でしょう。

しかしそれを鼻にかけ、他人にひけらかしたり、自慢するようならまだまだ本物ではないと言えます。

一流に共通することには、どんな状況、どんな場面であれ己に謙虚であることだと言えます。

百不知百不会とは悟りを得たとしてもまるで何も知らないかのように超然としていることを示しています。

修行や勉強で得られた事だけに囚われず、分別を超越し、静かに澄んだ状況にある境地に達していることを表現しています。

どういったときに思い出すべきか?

超一流と呼ばれる人を見てみると、道を極めたと言えるほどその道に精通した人でも、「まだまだ勉強不足です」というように、謙虚である特徴があります。

欧米的な自己アピールがビジネスシーンで注目される中、謙虚な姿勢が引っ込み思案のように感じられるかもしれませんが、決してそんなことはありません。

野球のイチローもあの才能がありながら、常に謙虚な姿勢を見せてくれます。しかしながら試合では手加減せずに自分の最大限の力を尽くして相手チームに挑みます。これが本当のその道を極めた人の対応だとは思いませんか?

その道のプロであることは伝えても構わないと思いますが、全てに熟知していると自負し過ぎては、それ以上に学ぶことはないでしょう。

禅が一生を通じた実践なのであれば、道を極めると言うこと自体が幻のようなものです。

まとめ

いかがでしたでしょうか。

この百不知百不会を語るとき、次のような言葉が思い浮かびます。

「味噌の味噌臭きは上味噌にあらず」

知識を得たこと、また得ていることをひけらかし、達人ぶることはそれ自体が小物であるということです。

常に謙虚に、誠実に、反して課せられたことに全力で尽くすこと、それこそが悟った人の境地だと言えます。

最後までありがとうございました。

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