こんにちは。マインドアプリです。
今日は「一大事(いちだいじ)」という禅語をご紹介しましょう。
これが禅語だと知らなかった方もたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。
普段の生活の中でも結構使いますよね。
生きていくなかで何が大切な事なのか、どう生きていくべきなのかを説いた禅語です。
それではどんな禅語なのか詳しくご紹介しましょう。
「一大事(いちだいじ)」の意味
「一大事(いちだいじ)」とは、現代では「衝撃ニュース」のような意味で扱われて居ますが、本来の禅語としては、「人間はなんのために生まれ、どう生きるべきなのか、それを問い続ける事、人生においてもっとも重要な事が一大事である」という意味を持った言葉なのです。
もっと簡単に伝えると、一大事とは「もっとも大切な事」すなわち人生におけるもっとも大切な事とは「生きること、そして死ぬこと」であるという意味なのです。
人生にはいろいろな事がありますよね。お金を稼いだり、大事な人と別れたり、いいこともあれば悪いこともあります。
そんなことも含め、生きていることを実のあるものにするために、人の一生に無駄にする時間は1秒たりとも無いのです。
「一大事(いちだいじ)」の由来について
この「一大事(いちだいじ)」という禅語、元々は「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり」という道元禅師の言葉に由来します。
道元禅師の「正法眼蔵」の沙録である「修証義(しゅうしょうぎ)」の冒頭にみられる言葉です。
禅寺に木版(もっぱん)という木の板があります。これは朝夕のはじまり、坐禅のはじまりと終わりを告げるものなのですが、この木版に次のような言葉が墨書きされて居ます。
「生死事大 無常迅速 各宜醒覚 慎もつ放逸(しょうしじだい むじょうじんそく かくぎせいかく しんもつほういつ)」
時は人を待つことなく、速やかに流れ過ぎ去る、無駄に費やすことなく修行に励み、一大事に向き合いなさいという戒めの言葉です。
今に向き合いながらしっかりと生きていくこと、それが一大事に向き合う事であると言えますね。
生きること死ぬこと
白隠禅師の師匠である正受老師は「一大事と申すは今日ただ今の心なり、それを疎かにして翌日あることなし」という言葉を残しています。
出家の僧でなくても、頭のよい哲学者でなくても、どんな境遇の人でもその時その瞬間を一生懸命に生きることは出来ます。
一生懸命になにかをすると疲れます。しかしそこにある充実感、達成感は言葉にできないものでは無いでしょうか。
生きることは死ぬことと同義。死ぬことが一大事なのであれば生きることも一大事なのです。
決して疎かにはできないものだと思いませんか?
まとめ
いかがでしたでしょうか。
生きていると嬉しいこと、楽しいこと、辛いことや悲しいことがいくつもあります。
しっかりと目の前にあることに向き合い、一生懸命に取り組む。今をしっかりと生きないと明日が充実するはずはありません。
時には今生きていることに目を向けて、どう人生を過ごすべきか、どう死ぬのが幸せなのかを自分の「一大事」と捉え、時間をかけて考えてみるのもいいのではないでしょうか。
今日はここまで。最後までありがとうございました。