こんにちは。マインドアプリです。
今日は一切唯心造(いっさいゆいしんぞう)という禅語をご紹介します。
禅語の世界では悪い意味の言葉をあえて良い意味として捉えて禅語としているケースがありますが、この言葉がその境地を表しているともいえますね。
一体どのような言葉なのか、ご紹介していきましょう。
それではスタート!
禅語の由来
この禅語はお盆に行われる施食会という集まりで唱和されるお経で「甘露門」というお経があるのですが、その一説が元になっています。
「若人欲了知 三世一切仏 応観法界性 一切唯心造」
意味:もし、仏の心を知ろうとするのであれば、宇宙の一切の出来事は心が造り出しているものだと考えなさい。
もともとは「華厳経」に記載されているお経の一文なんですよ。
一切唯心造(いっさいゆいしんぞう)の意味は?
この禅語にはこんな逸話があります。
臨済宗の高曽、白隠というお坊さんがいました。江戸中期に活躍したお坊さんなのですが、掛け軸などの禅画で有名なお坊さんですね。
どこかで見たことあるという方も多いと思います。
そこに若い武士がこう聞きました。
「なあ、坊さん、地獄ってほんとうにあるんかいな?」(現代語訳)
すると白隠、いきなりキレて
「バカタレ!侍のくせに地獄が本当にあるかなんて気にしとるとは、呆れ果てたわ。この腰抜け侍!!」
と罵ったのです。
きっと周りにいた人もびっくりしたことでしょう。
若いお侍さんはその言葉に非常に怒り、鬼のような形相で刀を抜き白隠を斬りつけようとします。
そこで白隠が一言、
「それが地獄じゃ!!」
はっと我に返ったお侍さんは、
「地獄の場所、よくわかりました。」
と、白隠にひれ伏したという事です。そこで白隠は「それが極楽だよ」とにこやかにお侍さんに伝えたと言います。
現代で考えると、確実に傷害事件に発展していますよね。白隠の命をかけた説法、おそれいります。
前置きが長くなりましたが、地獄も極楽も人の心が造りだすもの。
一切はただ(唯)心が造りだすものだよというのがこの禅語の意味です。
地獄、極楽だけではなく、辛さや嬉しさなども同じだと言えますね。
ビジネスシーンでの心得
仕事の中でも全く同じことが言えますね。
一見辛い仕事に見えて課題解決という側面においては非常に勉強になる案件であったり、楽な仕事に見えて全く身にならないというケースもあったり。
とにかく捉え方次第で地獄にも極楽にもなり得ます。なんでもとにかく実践してみなさいということです。
しかしそれが自分にとって本当に地獄だった時、それは我慢しなくても良いと考えます。
考え方、生き方は人それぞれ。
誰にでもマッチするもの、しないものがあるはずです。あなたにとっての極楽を選択すればいいだけの話です。
しかしそれが地獄なのか極楽なのかを判断するにはしっかりと入り込んでみる必要があるので、全てはそこからだという事も肝に命じておきましょう。
最初から決めつけで判断するのは危険だと言えます。
まとめ
心が造り出すもの、それに人は惑わされます。世の中の事象、喜怒哀楽の感情さえも、全て人が造り出しているとも言えます。
その人が造り出したモノに惑わされて、周りが見えなくならないようにしたいものです。
仏教では世界は人の心がつくりだすと説いています。清い世界は清い心を持つ人に訪れるのです。
今日はこの辺で。それでは。
最後までありがとうございました