禅語の扉:好事不如無(こうじもなきにしかず)

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こんにちは。マインドアプリです。

唐突ですが良いことがあると嬉しいですよね。宝くじに当たったとか、会社でボーナスの金額が高かったとか、希望の会社に入れたとか、好きな人と付き合うことが出来たとか。

人生は大小さまざまな良いことがあります。

しかし、良いことがあると、さらに良いことを追い求めてしまいませんか?「この前行ったところで良いことあったからまた行ってみよう」と思い、行ってみても何もなかったとか、結局残念な気持ちになってしまいます。

良いことって本当に自分にとって良いことになっているのでしょうか。

今回はそんな禅語の紹介です。それではスタート!

禅語の意味

好事とはそのままの意味で「良い事」「喜ばしい事」という意味です。

良い事は本来好ましい事なのですが、それに囚われてしまったり、執着してしまうと、その事自体が煩悩になってしまったり、妄想になってしまいます。

この「好事不如無(好事も無きに如かず)」という言葉は「執着心を生んでしまうのであれば良い事さえ無い方がよい」という言葉なんです。

良いことが無いほうがよいとは、人生つまらないものになりそうな事をいうなぁとお思いかもしれませんが、良いことが悪いのではなく、それに執着、妄想を抱いてしまう事自体が良く無いことであると言っているのです。

そんな執着して身を滅ぼしてしまうくらいであれば、良いことを追い求めるなということなんですね。

「好事魔多し」という言葉もありますが、これも同じような意味の言葉です。好事にはその中に魔、邪念などがひっそりと隠れているのです。

良い事が生み出した悪い事

一見矛盾したことかもしれませんが、良い事が生み出した悪い事とは一体どういう事なのか。

お金持ちになったらもっとお金が欲しくなり、結果人の道理に反してしまうようなことをしてしまったり、人間関係が悪化してしまったり、賭け事に勝ってしまうと、次も同じように勝てるのではないか?つぎはもっと勝てるのではないかと勝った分を使い果たし、さらに大枚をつぎ込んでしまったり。

人は良いことがあると、つぎはもっと良いことがあるのではないかと考えます。人間の文化的なものがここまで成長しているのはその「もっと楽になりたい」「もっと豊かになりたい」「もっと欲しい」という気持ちがあればこそなのは確かな事です。

しかしそれを追い求めるがあまりに、人生を台無しにしてしまった人々も沢山いたはずです。

現代の文明社会において、私たちはそんな人たちの歴史の上に生かされているのかもしれませんね。

星座占いの落とし穴

朝のニュース番組でやっている星座占い、今日はどんな日かなと楽しく拝見しますが、これも諸刃の剣であると言えます。「もっともっと」は禁物です。

星占いに出ていた通りに過ごしたら良い事があった。そこから星座占いにのめり込んで、何でも占いに従って行動してしまう。

大事なプレゼンの日、万全に準備をして最後に神頼みと星座占いを見る。そうすると占い最下位だったり。「今日は人前での発表は避けた方がよさそう」なんて結果だったら目も当てられませんよね。

良い事が当たって占いを信じている分、悪いこともそれ相応に信じ込んでしまいます。

そしてそれに執着しすぎると、自分の最大限の力が発揮できません。

なんでもかんでも良いことだと思い込み、もっともっとと求めてしまうと、最後にしっぺ返しを受けてしまいます。

会社の評価やインセンティブ

子供が良いことをして褒められると、もっと褒めて欲しくて良いことをする。それがエスカレートすると今度は良いことをしたと嘘をついたり、ズルい事をしたり。

まさに好事がなければ子供も嘘やズルを覚える事はなかったかもしれません。

また評価に執着することで、本来やってはいけないことをやってしまったり、人の足を引っ張る事をしてしまったり、評価を上げる事が全て良いことかどうかと考えるとそうでも無いように思えてきますね。

まとめ

禅は全てにおいて執着を捨て去る事を教えます。全て捨て去り、身一つになり、座禅に取り組む事で悟りを開ける。

悟りを開きたいと思い込む事自体が執着であるとも言えるのです。

たとえ良いことがあったとしても、ほどほどがよく、「もう要らない」「十分だ」と言える勇気が必要だと思います。

最後までありがとうございました。

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