行雲流水(こううんりゅうすい)身を軽くすること:「生きる」に活用する禅語

スポンサーリンク

みなさんこんにちは。マインドアプリです。

みなさんは流れる小川を見たり、空に浮かぶ雲を見たりして「あんな風にゆったりと過ごしたいなぁ」と思ったことはありませんか?

今日はそれに近い心境を表現した禅語「行雲流水(こううんりゅうすい)」という禅語をご紹介します。

では早速ご紹介しましょう。

「行雲流水(こううんりゅうすい)」の意味

行雲流水とはその文字の通り、空を漂う雲、流れる水のように一箇所にとどまらず、流れるように生きる様を示した禅語です。

空に浮かんだはぐれ雲を見ていると、「あんな風に自由に生きてみたいな」と思うことはありませんか?流れる水のようになにも考えずに自然に身を委ねることができればなんと楽なことかと思う人もいるかもしれません。

何かに捉われること、それは生きることで身のまわりにまとわりつく固執や執着であると言えます。しかしその固執や執着がゆえに、人は目標を持ち、奮起し、生活出来ているとも言えます。

そんな固執や執着を捨てて、雲や水のように生きること、それは決して簡単なことではないのです。家族も家も、地位や財産、名誉も持たずになににもこだわらずに生きていくということですから、いかにも仏法的な、悟りを追い求めてそれを得た者だけがなし得ることができる生き方ではないでしょうか。

「行雲流水(こううんりゅうすい)」の由来

この禅語は様々な文献に出てきますが、(蘇軾そしょく)の「与謝民師推官書(しゃみんしすいかんにあたうるのしょ)」では、文章を書くことが自然な流れであるという使い方でこの「行雲流水(こううんりゅうすい)」を活用しています。

自然に身を任せて生きるという意味でも、その動作が自然と一体化しているようにスムーズであるという使い方でも活用されます。

また、修行僧のことを「雲水(うんすい)」と呼びます。これも修行僧が師を求めて一箇所に留まらずに、流れるように各地を行脚しながら修行していたことからそう呼ばれます。

禅語の活用方法

日々生活や仕事をしていると、色んなことにとらわれてしまい、頭が混乱してしまうことがありませんか?

禅では「執着」を捨て去ることを重んじています。この行雲流水もまたしかり、執着を捨てて身軽になりなさいという教えを説いています。

何かに囚われて、本来の軸(自分自身の考え)もブレてしまうと様々な弊害が発生します。大事な事を忘れてしまったり、本来の主旨を見失ってしまったり。

まずは流れに身を委ね、流れるように、抗う事なくやってみると、意外とすんなりことが進むこともあるのではないでしょうか。

まとめ

はぐれ雲に想いを馳せ、あんな風に自然に生きることが出来たらなぁと思った方、あなたもあのはぐれ雲と同じ自然の一部です。

もちろん、ずーっと何も考えずに流れるままというわけにはいきません。

しかし、身軽に、囚われずに、自然に過ごす瞬間は必ず訪れるものです。頭が詰まってしまった時、この行雲流水の言葉のように、自然に、流れに、身を任せてみるのもいいのではないでしょうか。

結果が良くなろうが、悪くなろうが、それも自然の流れに任せ、受け入れる覚悟が、本質的に必要なのかもしれませんね。

最後までお付き合いいただきありがとうございます。

きょうはここまで。

スポンサーリンク
スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク
スポンサーリンク
%d人のブロガーが「いいね」をつけました。