掬水月在手(水を掬すれば月手に在り)慈悲の光は誰にでも注がれる:ビジネスで活用する禅語・名言

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こんにちは。マインドアプリです。

自分ばっかりが運が回ってこないとか、誰それさんばかりいいことあって。。。などと思う時ってありますよね。

「隣の芝生は青い」とはよく言ったものです。人間どうしても人と比較してしまったり、人の持ち物がよく見えてしまったりするものです。

そんな時にこの禅語は「そんなことはないんだよ」と優しく頭を撫でてくれるような暖かい言葉で私たちを包んでくれます。

どんな禅語なのか早速紹介していきます。

掬水月在手

掬水月在手(水を掬すれば月手に在り)の意味

この禅語の意味は慈悲の光は誰にでも注がれます。安心しなさいという意味の禅語です。

細かく説明すると、「掬水」は水を手で掬(すく)う行為のことを意味します。そして「月在手」はそのすくった水の中に月が写っている情景を表しています。

「月夜に水をすくうと、誰の手の中にもその月が写り、遠くにあると感じていたものはすでにあなたの手の元に存在するんですよ」という意味になります。

月の光は誰にでも平等に注がれていて、誰も無視され、誰かだけに注がれるということもありません。

禅の世界では月の光は仏の慈悲として表現され、仏法そのものであるとされています。

しかし、誰にでも注がれるということはそれに気づかないでいる可能性もあるのです。結果水をすくい、月を写す行為は自分自身が水を救わなければなりません。

公平に光は注がれますが、それを受け取るのは自分自身の心がけ次第ということになります。

掬水月在手(水を掬すれば月手に在り)の由来

この禅語は中唐の詩人、「于良史(うりょうし)」の「春山夜月」という詩の一節です。

春山夜月の全文

原文

春山多勝事、賞翫夜忘帰
掬水月在手、弄花香満衣
興来無遠近、欲去惜芳菲
南望鳴鐘処、楼台深翠微

訓読

春山勝事多し、賞翫して夜帰るを忘る
水を掬きくすれば月手に在り、花を弄すれば香り衣に満つ
興来らば遠近おんごん無く、芳菲ほうひを惜しんで去ゆかんとす
南に鳴鐘の処を望めば、楼台ろうだいは翠微すいびに深し

意味

春の山は素晴らしい事が多く、それを愛でていると夜になり家に帰ることさえも忘れてしまうほどだ。
川の水を手で掬ってみると、月がその中に映っていて、近くの花に触れてみるとその香りが衣に移り満たされる。
興が乗れば遠い近い関係なく、花の香りを愛でて何処までも行きたくなってしまう。
南の方向から聞こえる鐘の音に耳をすませば、楼台が春の芽吹きの山の中腹に隠れている。

春の山の風景を歌った詩ですが、ありのままの情景を美しく詩に映し出していますよね。

その時の風景が目に見えるようです。

禅語はもともと詩や説法から引用しているものが多く、この掬水月在手(水を掬すれば月手に在り)の禅語も同様に詩の一節を引用しています。

その意味が禅の世界観にぴったりあっているんですね。

ビジネス、生活での活用方法

自分だけ仕事がうまくいかないとか、誰それは仕事ができるが自分は。。などと思うことってありませんか?

この禅語のように、運やチャンスは誰にでも同様に降り注いでいます。

しかし、ここが一番の注意点です。

掬水月在手それを掬い上げるのはあなた自身であるということです。

どこにでも落ちているチャンス、運、タイミング、それは誰にでも公平に、夜空に輝く月のように誰にでも降り注いでいます。

しかし、それを掬い上げ、手の中の水に月が映るのは結果あなた次第ということです。

しっかりと見極めることと、まずは行動すること、いかにも禅の実践を重んじる精神がここにあると言えます。

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