「無功徳」人のために尽くす真理とは:禅から読み解くビジネス思考

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こんにちは。マインドアプリです。

良い事、人の役に立つことをすると、自分の立場が有利になると思う人は多いのではないでしょうか。

今日は禅語の「無功徳」という言葉を紹介します。この言葉にどんな気持ちで善行を行うべきかの真理が詰まっています。

それでははじめましょう。

無功徳の意味

無功徳とは「良い行いをしても、自分に功徳なんかありませんよ」という意味の言葉です。

これは「良いことをしたら自分にもきっと良い事があるよ」というこれまでの道徳観を覆す言葉ですよね。

かなり突き放した言葉のように見えますが、禅語は大体深い意味があるものです。なぜこの言葉が生まれたのかをご紹介します。

言葉の由来

それは6世紀前半の頃です。中国の梁という国の武帝が居ました。その武帝は人々から仏心天子と呼ばれるほど深く仏教に帰依していた人物だったと言います。

その武帝が禅宗の祖である達磨大師にこう言いました。「私は寺を建て、沢山の僧も育成しました。その事でどんな功徳が私にあるのでしょうか?」その問いに対して、達磨大師はこう答えたと言います。

「功徳なんてありゃせん。」

それがこの無功徳の言葉の由来だと言われています。

見返りとは

人は良いことをすると良い事が自分にも返ってくると教えられています。であれば、自分が良い事を起こすためには自分が良い事をするのが一番の近道だと言えます。

仏教の世界でも善因善果、悪因悪果という言葉があり、自分の行いは自分に返ってくると教えられていました。

しかし、その考えで物事を進めるのは本末転倒であるのです。

自分に有利になるように人に良い事がをしてもそれが返ってくるととは限りません。見返りを求めて善行を行うこと自体が間違いであるとこの言葉が教えてくれています。

良い事、人のためになる事は自分自身のために、「あ、よかった」と自分自身が思えるために行うのです。そこに損得勘定を入れてしまうと、見返らない事が損したと思ってしまい、本来の善行からかけ離れてしまうのです。

功徳は行っても、自分に対して期待をするな。期待をするから裏切られたと思うのです。

ボランティアの精神は本来こういう感情から行うものです。やれ「やってあげたから今度はそっちの番でしょ」というのは単なる押し付けでしかありません。

もちろん、やってもらった分恩返しとして何かするのはなんら問題ありません。むしろ行うべきだと思います。しかし恩返しされる側がそれが当然と思うこと自体が間違っていると教えているのです。

決して無理して人のために尽くす必要はありません。出来る範囲で構わないと思います。

そう言った無心の善行、施しこそが真の善行であると説いているのですね。

まとめ

人に尽くすという事はなかなか簡単にできる事ではありません。

しかし見返りを求めず、何か人助けを行う事は、自分自身の気持ちの中で大きな自信ややり甲斐を見つける事ができるでしょう。

ギブ アンド テイクにこだわらず、ギブ アンド ギブの精神を持つ事が、ありのままを重んじる禅の心かもしれませんね。

今日はここまで。ありがとうございました。

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