応に住する所無うして其の心を生ずべし:心にいつも余裕を:ビジネスで活用する禅語

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こんにちは。マインドアプリです。

毎日仕事をしていると、どんどんやるべき事が増えていって、余裕が無くなる時ってありませんか?

余裕がなくなると、心の「遊び」がなくなります。「遊び」がなくなるとは、常に張り詰めた糸のようになっている状態であり、不意にその張り詰めた糸が切れてしまうとも限りません。

心を遊ばせておくとはどういうことなのか。この禅語から学ぶべきことは何なのか、詳しく見ていきましょう。

禅語の由来

この禅語は「金剛般若経」の一節で、「応無所住●生其心(おうむしょじゅうにしょうごしん)」という言葉から生まれた禅語です。

「応(まさ)に住(じゅう)する所(ところ)無(の)うして其(そ)の心(しん)を生(しょう)ずべし」の意味とは

この禅語の意味は「何ものにもとらわれない心ですべてにあたりなさい」という意味を持つ言葉です。

住するというのは「住む」ということではなく、一つの場所に居座る、こだわり続けるという意味を指します。

「色即是空、空即是色」という言葉で、この世はすべて「空」であり、永遠に存在するものなど一切ないという仏教の教えがあります。

心もまた形がないもので、形や色もなく、喜怒哀楽によって次々に変化していき、変幻自在に変わっていくことにより、私たち人は生きていけているとも言えるでしょう。

例えば心に形があり、それが決まってしまっていては、人は気持ちを楽にすることも、また厳しくすることすらできません。

例えば愛する人を失った悲しみが、ずっと同じ気持ちで残ってしまっていると、そこから人生は変化することがなく、ずっと悲しいままですね。

しかし人間はそこを乗り越える強さを持っています。そこからちょっとずつ新しい気持ちを心の中に形成し、辛い気持ちから乗り越えることができるのです。

心をとどめておくとは

心を留めておくとはどのような意味なのでしょうか。

心がどこかに留まってしまうということは、すなわち執着してしまうという事です。

怒りや悲しみ、喜びや嬉しさ、こういった気持ち全てが執着であり、その気持ちに留まっておく事が執着心を生み、人に迷いや苦しみを与えます。

怒りや悲しみは理解できますが、喜びや嬉しさは留めておいても良いのではと思いませんか?しかし、禅の世界ではそれさえも執着なのです。

嬉しい事があるとさらに嬉しい事を求めてしまう、それが煩悩となり、人の心を逆に締め付けてしまう原因になってしまうのです。

「好事無きに如かず」という禅語を以前ご紹介しましたが、それも同じような意味を持つ言葉なので紹介しておきますね。

禅語の扉:好事不如無(好事無きに如かず)煩悩を生むくらいなら、良いことも無い方がよい。

マネジメントシーンでの活用

マネジメントをする人は常にいくつものプロジェクトや案件を管理する必要があります。

そんな中で細かい作業などにまで手を出してしまうと、一気に視野が狭くなってしまいます。

トッププレーヤーがマネジメントに異動して成功しないのはこういった事も原因かもしれません。自分でやってしまった方が早いと考えるため、なんでも自分で解決しようとしてしまう。それ自体は悪いとは言えませんが、気持ちに「遊び」がなくなるので、いろんなことに目が届かなくなり、新しい発想も生まれなくなってしまいます。

常に心に「遊び」をもち、余裕を持つことで、上司からの突然の依頼にも対応でき、メンバーのちょっとした変化にも気づけるようになるのです。

まとめ

応に住する所(心を決めつけてしまうようなこと)は無くして、心を生みなさいとは本当に其の通りだと感じます。

人はいろいろな気持ちに縛られます。

あの人にこんな事を言われて気分が悪いとか、こんな事をする人だから悪い人に決まっているとか、よく知りもしないのに人の事を決めつけている事ってありますよね。

いつも心はまっさらにして、何が起きてもすぐに対処できる気持ちを持っておく。これこそが余計な「妄想」を生まない、一番の心の健康法だと言えますね。

最後までありがとうございました。

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