仕事には必ずと言っていいほど業務マニュアルが存在します。そのマニュアルを元に仕事を行うことで、正確に早く業務を遂行することができます。正しく読みやすいマニュアルを作ることが効率化を図るために重要であることはどなたにも理解できることだと思います。
しかし、マニュアルが引き起こす弊害もまたそこには存在します。マニュアル通りに業務を行うことで、自分で考える力が失われているという事です。短期的な成果主義が引き起こした弊害かもしれません。
禅の世界では「規矩不可行尽(きくおこないつくすべからず)」という禅語があります。これは上に述べたようなマニュアル主義的な考え方について「ちょっと待て」と呼びかけている言葉なのです。
言葉の意味
では「規矩不可行尽(きくおこないつくすべからず)」はどういった意味が込められているのでしょうか。
この言葉は中国の宗の時代の法演和尚の「法演の四戒」の一つで、「規矩行い尽くすべからず、もし規矩、行い尽くさば、人必ずこれを繁とす」という言葉があります。「規矩」は手本や規律を意味します。「繁」は煩わしいという意味、訳すると
「何事も手本の通りにやりすぎてはいけません。もし手本に忠実にやり過ぎれば、人は煩わしさを感じてしまうでしょう」
という内容の言葉になります。
ケーススタディ
例えば新人が入社し、全ての業務のマニュアルを準備できたとして、1年かけてマニュアルに沿った業務を全て行うことができるようになりました。しかし、その新人はマニュアル以上の仕事ができるようになるでしょうか。
もしその新人がその業務に非常に興味を示し、マニュアルに記載されていることの理由であったり、そのバックグラウンドも調査し、そのマニュアルが作成されるまでに至った経緯なども調べる事があれば(そんな新人がいれば嬉しい。。。)、もしかするとマニュアル以上の仕事ができるかもしれません。
しかしマニュアルに忠実に業務を行わせるという事はその人の想像力を阻害してしまうことにもなりかねません。
他にも飲食店などで、閉店間際に来店し、注文をした際に「お召し上がりですか?お持ち帰りですか」と聞かれたとしましょう。逆に「閉店時間ですが召し上がってもいいですか?」と聞きたくなりますね。
これは業務がマニュアル化された弊害と言えますね。仕事においてマニュアルは単に手順であり、それが全てではありません。そこに必ず状況、タイミング、時間などが組み合わさり、これまでのナレッジとしての対応が求められます。
マニュアルワーカーであるよりナレッジワーカーであることを求められます。
これは非常に個人的な意見ではありますが、ファーストフード店で「お召し上がりですか」と聞かれることがありますが、私は毎回「召し上がり以外にどうするんですか?買ったら食べますけど。。。」と思ってしまいます。そりゃ召し上がるでしょ!!って。口にはしませんが。「店内でお召し上がりですか」ならまだ理解ができます。そんだけ略してなんか効果があるのかなって思ってしまいます。
まとめ
この言葉はマニュアルを見て仕事をする人よりも、どちらかというとマニュアルを見て仕事をさせる「リーダー側」に考えて欲しい言葉だと思います。
マニュアル通りに仕事をさせ、生産性を上げ、ミスを少なくする。しかしその中にもマニュアル通りではない、個人の思考を活用した仕事のアサインをするなど、マニュアル中心の業務にならないよう仕事をコントロールする必要があると考えます。
人も会社も学校も、規則、決まり、マニュアルでガチガチに固めてしまっては、育つ人材も育たなくなってしまう危険性があります。ブレーキでいう「あそび」を作っておくということですね。
マニュアルを完全に否定しているわけではありません。ある程度は「あそび」を持たせて、考える力を養えるようにしましょう。
「規矩不可行尽(きくおこないつくすべからず)」、煩わしさを感じるまでマニュアル化しないよう、定期的に日々のオペレーションを見直してみてください。